「勉強する」ということ
2022/07/01
勉強するということ
進学、進級したときは誰でもこれからしっかり勉強しなければと思う。新しい世界のスタートに心の高ぶりを感じるものだ。しかしこの「やる気」はあっという間にしぼんでいく。
授業がわからず、勉強にもついていけなくなって、学ぶ喜びどころか苦痛を感じ始める。あるいは学校生活よりSNSやYouTubeなど刺激的ものが多くなって授業に興味を失くしたり、部活動や習いごとで疲れて勉強する時間が奪われていく。
親も教師もなぜ勉強しなければならないかを子どもに説明するが、将来のためとか、立派な人間になるためとか言われても、子どもには先のことはピンとこないので、わかったふりはするけれど一向に勉強しない。
勉強は意欲がなければ身に付かないので、本当に意欲が湧くまで待てば良い、あわてずに長いスタンスで、という人もいる。だが果たして本当にそうだろうか。
30過ぎて突然意欲が湧いて、高校に入り直した元プロレスラ-がいた。だが脳が若くないので、記憶力が弱まり、長時間の授業に集中力が続かない。一見カッコイイが、卒業するまでかなり苦労したらしい。
勉強が苦手でも、若い時に意欲を持って努力しつづければ、やがて技が身に付く。突然「あっそうか」といった感じで。そして、ひとつ技が身に付くと、あとはその応用やら比較やらでどんどん理解がすすむ。「学習能力の差は、運動能力の差に比べれば開きはない」とどこかの大学の偉い先生が言っていた。
そこで、これらのことを子どもたちに伝える時、勉強とは机に向かって問題を解いたり辞書を引いたりすることではなく、「自分の嫌なことでもちょっと無理をすることだよ」と言ってみたらどうか。
現代中国語の「勉強(ミェンチァン)」は、「無理をする」という意味で、「心から満足できない場合に用いる」そうだ。ここには、勉学に励むという意味はまったくない。そういえば、よく魚屋さんや八百屋さんが「奥さん、勉強するから買ってよ」と叫ぶ。「儲けが少なくなるけど、ちょっと無理して値段を下げるから買ってよ」と言っているのである。
こんな話をして、「勉強とは自分のすることすべてに、普段よりちょっと無理することだ、教科書を読むのでも、字の書き取りをするのでも、スポ-ツをするのでも普段の自分がするよりちょっと努力をすることだよ」と言ったらどうだろうか。勉強とは、人より良い点を取ることでも、立派な人間になることでもない。自分がどこまでやれるか、どこまできるかどうかチャレンジすることだよ、と。
なぜ勉強するか
映画『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督・松竹)
時は幕末、清兵衛はお城勤めのいわゆる地方公務員。幼い娘2人と痴呆の母親、妻は労咳で亡くなった。妻の本家の重圧で、分不相応な葬式を出すはめになり、武士の魂も売った。借金で暮らし向きはかなり悪い。
最近寺子屋に通いはじめた上の娘が、「おどはん、針仕事習って、上手んなったら、いづかは着物さ縫えるようになるだろ。だども学問ならったら、何の役にたづんだろ。」
と問う。
清兵衛は少し考えて
「学問は針仕事のように役には立だねえかものう。だども学問すれば自分の頭でものさ考えられるようになる。考える力がつぐようになる。たどえ世の中さどう変わっでも、考える力さもっでいれば、何どがして生きていぐこどができる。」
囲炉裏端で訥訥と語る清兵衛の言葉に、いつの世も変わらぬ学問の意味があった。
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